2009年04月04日

7

 麻子は待合室の床に座りこみ、ガタガタと震えながら話し続けていた。母に叱られた少女のままに怯え、目はキョロキョロと挙動不審に動き、この状況から自分を助け出してくれるものを必死に求めていた。
 ふいに麻子の口元に笑みが浮かんだ。身体の震えは止まらなかったが、血走った目には喜びの色が加わり、全身から怯えた影が消えた。
「でもね・・・でも、お父さんはいけないって言ったけど、セックスをしている時は本当に幸せなの。その時だけは生きてるって感じる。私には本当は価値があるんじゃないかって思う。イヤなことが全部消えていって、頭が真っ白になるの。身体が軽くなってすごく気持ちがいい。お父さんとしてた時には一度も感じなかったのに、今は違う。空っぽだった心が、幸せとか喜びとかで満ち足りていくのがわかる。男のモノで、力強く突いてもらえればもらえるだけ、どんどんどんどん満ちていくの。だからもっとしなくちゃいけない。しないとすぐ空っぽに戻っちゃう。セックスする前よりももっともっと空っぽになっちゃう。だからすぐまたしなくちゃいけないの」
「違うよ麻子。それは違う。・・・それは麻子がセックス」
 陽平は思わずそう口走り、自分の口から出た言葉に気づいて口籠った。
 彼は今まで患者からありとあらゆる種類の話を聞いてきた。その陽平ですら、麻子の語る自らの過去には、身が凍るほどのショックを受けていた。
 自分がはじめて麻子に会った中学の時、すでに麻子の心は蝕(むしば)まれていたのだ。
 麻子をオモチャのように扱い、言葉と身体で縛りつけたまま義父は死んだ。残された母の心はねじまがり、その全てを麻子に向けた。
 彼女はそうやって、あの時あの場所に存在していたのか・・・。
「麻子・・・」
 あまりの痛ましさに、陽平の声はため息となった。
 麻子はゆっくりと声の主を振り返ったが、その顔は楽しく幸せだった夢から無理矢理起こされ、イヤな現実に引き戻されたかのように不機嫌だった。
「セックス依存症でしょ? 知ってるわよ。・・・だからなに?」
「どうして・・・」
「調べたからに決まってるじゃない。岩田君、私が何も知らないとでも思ってたの? 私のこと、何も知らないバカだとでも思ってるの? 今は知りたきゃなんだって調べられるわ。・・・あのね、私だって自分がおかしいことくらいわかってるの。ちゃんと知ってるのよ」
「だったら・・・だったらどうして止めないんだ! 危険だってこともわかってるのか? 身体だってボロボロになる。取り返しのつかないことになるかもしれないんだぞ!」
 陽平は何もしてやれなかった虚しさと、自分への腹立たしさに叫んでいた。
 もっと早く気付いていれば、もっと早く適切な行動を取っていれば・・・。
 この数ヶ月、頭と心から離れることがなかった激しい後悔が次から次へと陽平を襲う。いくら悔いてももう遅い。それは充分わかっていた。
「麻子、もう止めよう。病院に行こう。そんなバカげたことをいくら続けも、もっともっと、どんどん空っぽになっていくだけだ。それもわかってるのか?」
「じゃあ・・・今の私からセックスを取ったら、いったい何が残るっていうの?」
 麻子はかすれた声でつぶやいた。
 もう何もない。仕事も、理沙も、お父さんも、お母さんからの愛も、何もかも私にはない。生きてる価値も、生まれてきた意味も、なんにも、何ひとつない。
「なんにもない。本当に、何ひとつない。私は空っぽなの! そんな状況で、岩田君だったら生きていける?」
 かすれた声は徐々に音になり、大きくなって陽平に降りそそいだ。
「精神科医? 笑わせないで。私のこと放っておいたじゃない。わかってて、私の身体が欲しいがためにそのまま放っておいたんでしょ? ほら、私の身体に、私とのセックスに価値があるって、あなたが身を持って私に証明したんじゃないの! 私はね、セックスがあるから生きていけるの。生きてていいって言ってもらえるの。セックスがあるから私に価値が生まれる。セックスで男を満足させる身体を持っているから愛してもらえる。それが私なの。私の持ってる全てなの! セックスをすればするほど心が満たされる。それが仮に一時(いっとき)のことだとしても、それすらなくなったら私はどうやって生きていけばいいの? 私の心と身体は、誰がどうやって満たしてくれるのよ! もう止めろ? 病院に行こう? 冗談じゃない。空っぽのままなんかじゃ生きていけない。なんにもない。真っ白。そんなの絶対にイヤ! 私にはセックスがないとダメなの。生きてなんていけないのよ!」
 麻子は肩で息をしながら一気に言い募った。自分の空っぽの心を見つめ、探し、決して見つかることのない何かを、死に物狂いで求め続けていた。
posted by 夢野さくら at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 14番目の月
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/28246202

この記事へのトラックバック