麻子が階段をひとつ降りるたび、スカートの裾がひらりと舞った。
幽鬼のような顔と痩せ細った身体。ひらひらと美しく舞う真っ白いフレアースカート。2つは反発しあいながらも奇妙に相合わさって、麻子の語る物語によりいっそうの不思議さを与えていた。
「私ね、どうすればお母さんが私を愛してくれるのかを一生懸命考えたの。それで思いついた。そうだ。目が不自由になった理沙の面倒を見ればいいんだって。いつだってあの子の面倒をちゃんと見てれば、お母さんは私に優しかったもの。だから頑張った。お母さんに殴られないように、蹴られないように、いつもいつも必死で理沙の面倒を見てきた。理沙が笑えばお母さんも一緒に笑ったし、理沙が泣けばお母さんは私を叩いた。だからいつも理沙が笑っていられるように、理沙が気持ちよくいられるように、それだけを考えて生きてきたの。おかげで理沙は、明るくてよく笑う子になった。目は見えなくても、何も不自由がないように私がしてきたんだもの。そうね、理沙」
麻子はそう言って、階段の上に座り込んでいる理沙を見上げた。
理沙は泣いていた。泣きじゃくっていた。
サツキママの言うお姉ちゃんの原因とはこれのことなのか・・・。全てはこんな昔から始まっていたのか。それには確実に自分の存在も関わっている。知らなかった。そんなこと全然気付かなかった。ただただお姉ちゃんは、私を好きでいてくれて、愛してくれて、だから私を守ってくれるんだと思っていた。私はなんてバカだったんだろう。なんて無知だったんだろう。私の存在は、お姉ちゃんにどれだけの苦痛を与えていたんだろう。私を取り巻く環境と、お姉ちゃんのそれとはほとんど同じだったはずなのに、どうしてこんなにも違ってしまったんだろう。どうして・・・どうしてなの?
「理沙、何泣いてるの? 泣いちゃダメよ。泣いたら私がお母さんに叩かれる。お母さんが来ないうちに早く泣きやみなさい」
麻子はまるで、幼子に話しかけるように優しく言った。しかし理沙は泣きやまなかった。やめることができなかった。
泣きやまない理沙を見つめる麻子は、徐々に苛立っていった。手の甲をポリポリとかきはじめ、低いかすれた声で、とがめるように理沙の名を呼んだ。
「理沙・・・」
それでも理沙は泣きやまず、嗚咽はよりいっそう大きくなった。
麻子の苛立ちは次第に大きくなっていき、ただでさえボサボサの髪を両手でグシャグシャとかきむしり怒鳴りはじめた。
「泣きやみなさい理沙! 何をいつまで泣いているの!」
理沙はビクッと身体を震わせ、思わず顔を上げた。
麻子の身体は理沙に対する怒りと母に対する怯えでガタガタと震えていた。
「イライラする・・・。ああ、イライラする・・・。セックスしたい。セックスしたい。セックスしたいの! セックスさえできればこんなイライラすぐに収まるのに!」
麻子は震える全身を両手で抱きしめ、その場にぺたんと座り込んだ。
震え続けるその身体は、麻薬患者の禁断症状のように見えた。ガチガチと歯を鳴らし、全身を震わせながらも麻子はしゃべり続けるのを止めなかった。
「でもお父さんが、男はみんな麻子の身体だけが目当てで集まってくる悪いやつらだって言ってた。決して近づいたり、身体を許したりしちゃダメだ。お父さんだけが麻子を心から愛してるんだよって。だから・・・どんなにセックスしたくなっても、長い間、ずっとずっと我慢してた。お父さんをがっかりさせたくなかった。・・・でも・・・私にはセックス以外、人に愛してもらえる取り得がない。この世に存在してる価値だってない。お母さんがよく言ってた。あんたは本当にダメな子だって。なんてバカで、役に立たないんだろうって」
麻子の心は、義父の身体と母の言葉に縛られ、支配されていた。
義父から愛してもらうためだけに身体を与え続けた少女。本来無償で注がれるべき愛情が、麻子にとっては身体との交換でやっと手に入るものだった。しかもそれは、利己的で不純で独占的で、とても愛情と呼べるものではない。しかし麻子にとっては、それだけが確かなものだった。誰も麻子の行為が間違っているなどと教えるものはいない。
母は麻子と夫との関係を知っていながら、見て見ない振りをしていたのだろう。麻子さえ与えておけば、生活も自分も安泰だったからに違いない。
しかしそれ綱渡りのような生活も、夫の死によって全てが崩れ去った。母の鬱積した思いが、幼い麻子に向かっていくのは必然の結果だ。理沙の目の事故も、それに拍車をかけたのだろう。
・・・幼い少女の日常は、そうやって過ぎていったのだ・・・。
麻子は自分の居場所を確保するために、生きていくために、自分の自我を殺すしかなかった・・・。
2009年03月28日
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