2009年03月22日

5

 麻子は陽平をじっと見つめ、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
「わかった。そういうことか」
 麻子はまるで、難解なクイズを解いた少女のように、ウキウキと明るい声で陽平に話しかけた。
「岩田君がどうして泣いてるかわかったわ。・・・仮にも自分の彼女って言われてる人が、こんなにも痩せて、こんなにもみすぼらしくなったことが悔しいんでしょう。こんな私、抱いてもつまらないと思ってるのね。でもお生憎様。こんな私でも欲しいって言ってくれる男の人は大勢いるの。・・・知ってるんでしょ? 私が今までしてきたこと。だから急に私を抱くの止めたんでしょ? でもね、どんなに痩せても私の身体は素晴らしいの。私のセックスはすごいの。本当はあなたにだってよくわかってるんじゃないの?」
 陽平はもう、何がなんだかわからなくなっていた。麻子はいったい何を言っているのだろうか。どうしてそんなふうに考えてしまうのか。いくら愛しても、決してこの人に届くことはないのか。無性に悲しかった。大声を上げて泣きたくなった。
「なんで・・・」
 陽平はポツンとつぶやいた。
「なんでそんなふうに考えるんだよ。どうしてわかってくれないんだよ。こんなに・・・こんなに愛してるのに・・・」
 陽平がそう言った途端、麻子はケラケラと大きな声で笑いはじめた。異常さが色濃くにじむその笑い声に、理沙も由紀も目を見開き、息を止めた。
「ああおかしい! あんまり笑わせないでよ。愛してる? バカらしい。あるわけないでしょ?そんなこと。こんな私を、誰が愛するっていうのよ。ありえないこと言ってないで、もっと楽しいことしましょうよ。私の身体が欲しいんでしょ? 私とセックスしたいんでしょ?」
「お姉ちゃん!」
 理沙がうわずった叫び声を上げた。麻子はそれにゆっくりと反応する。
「・・・何?」
 麻子の瞳に射すくめられ、理沙は上手く言葉を発することができない。
「どうしてそんなこと・・・言うの? 岩田さんは、お姉ちゃんのこと思って・・・お姉ちゃんのこと」
 麻子は顔に笑顔を張り付かせ、理沙に視線を注ぎ続けた。その表情はもはや神々しいと言ってさえよく、よりいっそうの恐怖を理沙に与えた。
 麻子は呆れたように言った。
「だから笑わせないでって言ってるじゃないの。私のことを思って? ありえないでしょ? どうして岩田君が私のことを思ったりするのよ。バカバカしいこと言わないで」
 麻子はスーッと息を吸い込むと、教え諭すように、そして誇らしげに語りはじめた。
「いい。この際はっきり言っておくわ。私のことを思って愛してくれる人は、お父さんしかいないの。お父さんだけが、私の心と身体、その全てを愛してくれたの。そりゃ最初は痛かったし、ヤダなって思うこともあった。でもそんなこと言ったら、唯一私を愛してくれるお父さんを傷つけることになる。だから私は、セックスしたくないなんて一度も言わなかった。どんな時でも、お父さんが欲しいって言ってくれたらそれに従った。その分お父さんは、本当に私を可愛がってくれた。そんなお父さんと私のことを、お母さんはいつも変な顔で見てたけど、結局何も言わなかった。お父さんと私は、血こそ繋がってなかったけど、本当の親子よりもずっと親密だったわ。愛し合ってた」
 想像だにしなかった麻子の言葉に、理沙は立っていることができず、階段の手すりにすがり、ずるずるとその場にくず折れた。
 まさかと思った。ありえないと思った。お父さんのことはほどんど記憶にない。理沙がたった3歳の時に死んだからだ。
 お母さんはお姉ちゃんを連れてお父さんと再婚したのだと、遠い昔に聞いたことがあった。確かに血は繋がっていない。でもまさかお父さんと、まだほんの子供だったお姉ちゃんが? それこそありえないじゃないか。
 お母さんは知っていたのか? 知ってて黙っていたのか? どうして・・・いったいどうして・・・!
 誇らしげに語っていたはずの麻子の口調が、急に沈みこんだ。
「でも・・・唯一私を愛してくれたお父さんは、私が10歳の時に死んじゃった。だからもう、私を愛してくれる人はこの世にいないの。いるはずがないの。お父さんは私を愛してくれた。でもその分お母さんは私を嫌ってた。きっとお父さんが、お母さんより私を愛してたことが悔しかったのね。私はお母さんが大好きだったけど、お母さんは私を憎んでた。本当は、お母さんに私の身体をあげることができればよかったのよね。セックスさえできれば、すぐに私のことを愛してくれるでしょ? でもこればっかりは無理だったわ」
 話しながら、麻子はゆっくりと階段を降りていった。歌うように、踊るように、まるで麻子は、童話でも語るように話して聞かせた。
 不思議なリズムを持つその話し方は、なぜか内容の悲惨さや嫌悪感を覆い隠し、聞いているものをどんどんとその世界に引きずり込んでいった。
posted by 夢野さくら at 13:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 14番目の月
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