2009年02月07日

8

「あなたは知りたいって言った。だったらどんな辛く重い現実であっても、とことん付き合うの」
 サツキの言葉は、真っ直ぐ理沙の心に突き刺さった。その言葉ひとつひとつが理沙の全身に覆われた怒りの衣をはがし、今度は悲しみで覆い尽くした。
 理沙はやっと、自分が何に対して怒っていたのかを理解した。怒りの根本は、サツキでもなければ純也でもなく、ましてや麻子にではなかった。理沙の怒りは自分に向いていたのだ。
 何も知らない自分。それがイヤだと思った自分。知ったうえでの覚悟など何もなかった。それでも闇雲に知りたいと思った。家族なんだから私には知る権利があると思っていた。
 この人たちは、全てを知っていながらあえて言おうとしなかった。それを無理矢理聞きだし、勝手に傷ついたのは私だ。私の・・・方だ・・・。
 見えるということは、こんなにも辛いことだったのかと、理沙は今更ながら思っていた。

 小さいころから、再び目が見えるようになりたいと、ただそれだけを願い続けていた。
 見たかった。この世の全てが見たかった。
 美しくきらめくような海や空。木々の葉が涼しげな風に揺れる心地いい景色。人々が注ぎあう優しい微笑み。
 目の見える人の世界には、キレイなものが溢れていると思っていた。そう思わせてくれたのは、他でもない麻子だったのだ。しかし見えるようになった途端、麻子は自分の前から姿を消した。
 なんて皮肉なんだろう。きっと麻子の目に映る世界には、美しいものなどどこにもなかったのだ。
 世界は美しいと教えてくれた麻子の本当の心・・・。それはいったいどこにあるのだろうか。

 理沙は、聞き耳を立てなければならないほどかすかな声で、ポツリポツリとつぶやきはじめた。
「小さいころ、目が見えたらどんなに素晴らしいだろうって、ずっと想像してました。飼っていた犬の顔や、お姉ちゃんが私のために作ってくれる美味しいご飯。楽しそうなテレビや、公園に咲いているいい香りの花。それが見えたらどんなに素敵だろうって。でも、目が見えるって、こんなにも苦しくてイヤらしくて、重い現実を見ることなんですか? 何も知らない無知でバカな自分を知るためなんですか?」
 理沙の声は、かすれながらも徐々に大きくなっていった。その声は絶望に色濃く染まり、理沙を見えなかった時よりももっともっと暗い、闇に包まれた世界へと運んでいった。
「見えないままなら知らずにすんだんですか? だからお姉ちゃんは私から離れていったんでしょうか。・・・そんなこと、誰も教えてくれなかった。お母さんも純也さんも・・・私の目が治ることをあんなに喜んでた。それは、これを見せるためだったんですか? ・・・私・・・見えることがこんなに辛いなんて思わなかった。全然・・・知りませんでした」
 理沙は力なくソファに座り、ポロポロと泣きはじめた。
 サツキは半分呆れ、しかし半分で、無性に愛しいものを見るように微笑んだ。
「あなたは本当に、何も知らないまま育ってしまったお嬢さんなのね。きっと麻子さんが、あなたを大事に大事に守ってきたのね・・・」
 理沙は涙で潤んだ瞳をゆっくりとサツキに向けた。
 何も知らないお嬢さん・・・それはそうかとサツキは思った。この子はまだ、目が見えるようになってたった2年しか経っていないのだ。つまりは2歳の赤ちゃんと同じということだ。何も知らなくて当たり前。見えなくて当然なのかもしれない。
「あのね、理沙さん。目が見えるって、っていうかこの世界って、キレイなものや正しいものばかりじゃないわ。もっと言えば、汚いものとか醜いものばかりで溢れてるの。でもね、私思うのよ。本当にキレイなものや正しいものって、汚いものや醜いものの奥にあるんじゃないかって」
「・・・奥?」
「そう。汚いものや醜いものの奥にある真実。それを見極める目を持っていれば、いつだって本当にキレイなものや正しいものを見られるわ。表面上どんなに薄汚れて見えても、その奥にあるものが同じように薄汚れているかなんて誰にもわからない。世の中には、理沙さんみたいに実際にものが見えなかった人、今も見えない人っては少ないわ。でも、物事の真実が見える人は、もっともっと少ないの。それは、実際に目が見える見えないには関係ない。誰でも持っている心の目が開いているかどうかの問題なのよ」
 サツキはそう言うと、まるで母親が、生まれたての赤ん坊に見せるような笑顔を理沙に向けた。
posted by 夢野さくら at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 14番目の月
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