2009年02月22日

第5章 1

 私は何か計算違いをしていたんだろうか・・・麻子は震える身体を抱きしめながらそう考えた。
 陽平と付き合えば、もう男を探して新宿の街をさまようこともなくなると思っていた。でも、会うたびに陽平とのセックスを繰り返しても終った途端にまた欲しくなる。まるで麻薬患者が麻薬を打てば打つほどそこから逃れられなくなるように、セックスをすればするほどもっともっとと心が叫ぶ。その心の声を無視できなくて、以前よりも頻繁に夜の街にさまよい出るようになった。
 もしかして陽平は、そのことに気付いてしまったんだろうか。このところ陽平は、いくらせがんでもセックスをしてくれなくなった。それどころかとにかくクリニックへ行こう、2人で家にいちゃダメだと繰り返す。なぜ突然そんなことを言い出したのかと危ぶんでいたけれど、やはり知ってしまったということなのだろうか。しかしどうやって?
 そういえば、銀行を辞める時部長が噂がどうのこうのと言っていたような気がする。噂ってなんなんだろう。噂ってもしかして・・・。ああ、最近はなかなか考えがまとまらない。セックスをしている時以外、人の話もまともに耳に届かない。セックスがしたくてしたくて我慢ができず、黙って座っていることさえできなくなった。
 前はこれほどではなかったように思う。そう・・・初めて一晩だけのセックスをした時、その思い出だけで数ヶ月は持った。それが徐々に1ヶ月、数週間、そして数日と短くなっていった。近頃は数時間と持たないように思う。いつからこんなセックス中心の生活になってしまったんだろう。セックスのことを考えただけで身体の芯が熱くなり、いてもたってもいられなくなる。セックスができないなら生きてはいけない。死んだ方がましだと思う。もう前のように衝動を我慢することはできなくなった。自分はいつからこれほどセックスが好きになったんだろう。
 セックスが好き。私はセックスが好き? ・・・本当にそうなんだろうか。
 セックスの快楽はいつも、終わったあとの絶望感とセットだ。虚無感や焦燥感が大波のように押し寄せて私を溺れさせる。それが怖くて怖くて、何もかも忘れさせてくれる次のセックスに走ってしまう。まるでメビュースの輪のように、裏も表もなく、何が正しくて何が間違っているのかもわからない。
 私は病気なんだろうか。セックスという病に冒されているんだろうか。
 そうかもしれない。だから陽平に愛していると言われるたびに、胸が苦しくなってイライラが募るのだ。
 愛してるなんて余計な言葉を発している暇があったら、私の身体から服をむしり取り、おもむろに抱いてくれればいい。愛してるなんて、そんないい加減なありえない言葉を聞いてる余裕など私にはない。一刻でも早く、一回でも多くセックスをしなければならないのだし、私を愛する人間などこの世にいるはずがないのだから・・・。
 こんなことを考える私はやっぱりおかしいのだろうか。こんな私だから、誰も愛してはくれないのだろうか。
 ・・・わからない。誰か教えてほしい。誰か私を・・・救ってほしい・・・。

 麻子は震える身体を引きずりながら、ベッドルームを出てリビングの明かりをつけた。
 雑然と散らかった空間が、薄明かりの中にぼんやりと浮びあがる。
 ここの明かりをつけるのは2週間ぶりだ。ここ数ヶ月は掃除もしていない。する気力などどこにも残ってないのだ。
 ダイニングテーブルの上には、いつ食べたのかもわからないコンビニ弁当の残りや、ペットボトルのまま放置されたウーロン茶が置かれている。しかしそれらが麻子の目に映ることはない。真っ直ぐリビングを通り過ぎ、仕事部屋のパソコンデスクに向かい電源を入れた。インターネットに繋ぎ、セックス、病気、震えと検索をかけてみた。羅列された文章の中に、『セックス依存症』という言葉を見つけた。
 セックス、依存症? 何それ? それは病名なの?
 恐る恐るクリックしてみると、そこはセックス依存症患者が自分で開いているサイトだった。震える手で症状というところをクリックする。
 『セックス依存症とは、アルコール依存や買い物依存、薬物依存などと同じ、精神的病理現象をいう。セックスに異常なまでに執着し、それをしなければ恐怖や不安、焦燥感にさいなまれ、いてもたってもいられなくなる。セックスができなくなると、吐き気や嘔吐、貧血やめまい、身体の震えや思考能力の停止などの病的な症状に見舞われる。・・・適切な医療行為を受ける必要がある』
 まるで自分のことを言っているのではないかと麻子は思った。信じられない思いでサイトの隅から隅までをむさぼり読む。あっという間に数時間の時が流れた。
 麻子はふと、パソコンの隣に置いてあった鏡に目をやった。そこには、みすぼらしいほどに痩せ細ったひとりの女が映っていた。
 陽平は何もかも知っていたに違いない。・・・彼に会わなければ・・・。
 いつの間にか麻子は、ポロポロと涙を流し、肩を震わせて泣いていた。
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2009年02月14日

9

 サツキが言った言葉の意味を、すぐに理沙が理解できたわけではなかった。しかし理沙の耳は、サツキがとても大切な何かを伝えようとしているのだと感じていた。
「心の・・・目?」
「ええ。新宿二丁目でオカマなんかやってると、それこそいろんなことがあるわ。男同士の痴話喧嘩や自殺さわぎ。女とオカマが、ひとりの男を取り合って大喧嘩なんてこともある。テレビをつけりゃ、あたしたちの表面上だけを取り上げて面白おかしく騒いだり。まぁ、オカマであることをネタにしてタレント活動してる子もいるから、しかたないんだけどね」
 サツキはあっけらかんと苦笑まじりでそう言った。オカマたちもみんな顔を見合わせ、肩をすくめて笑っている。
「そんなこと、ここらじゃ日常茶飯事なの。それを見たまま受け止めてたらとてもじゃないけどやってられないわ。それこそストレスで病気になっちゃう」
「そうそう。第一あたしたちは、生きたいように生きてくだけでいろんなこと言われるのよ。変態だとか、気持ち悪いとか、頭おかしいなんて言われたことも、一度や二度じゃないもんね」
 リリィはそう言うと、プーっと頬を膨らませた。
「つまりこういうことよ。何でも重く受け止めないこと。それから物事を見たまま捉えないこと。物事にはいつでも原因があって結果がある。見たことをそのまま受け止めると、原因まで考えることをしなくなるの。原因をしっかり見極めようとすることが、心の目を開けること。わかった?」
 理沙はサツキを見つめ、小さくつぶやいた。
「原因と、結果・・・」
「・・・理沙さん、・・・麻子さんがとっかえひっかえ男を誘っていることにも、必ず原因があるの。原因のない結果なんてないのよ。たぶん彼女もあなたと同じ。見たくないものから目をそむけたのね。麻子さんが見たくなかったものが何かなんてあたしにはわからない。でもそのツケはいつか必ずその人に回ってくる。彼女のツケは、ああいう形で回ってきたんだと思うの」
「・・・お姉ちゃんの見たくないものって、いったい何なんでしょうか?」
「あたしにはわからないって言ったでしょ? それにね、何でもかんでも人に教えてもらおうとしちゃダメ。あなたの目は、もうちゃんと見えてるんでしょ? だったら自分ひとりで行動しなさい。今何をすればいいのか。ちゃんとひとりで考えるの。そうしたらおのずと心の目が開いて、あなたのやるべき事が見えてくるはずよ」
 サツキはそう言うと、深く考え込んでしまった理沙に、新しいウーロン茶割りを作ってやった。
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2009年02月07日

8

「あなたは知りたいって言った。だったらどんな辛く重い現実であっても、とことん付き合うの」
 サツキの言葉は、真っ直ぐ理沙の心に突き刺さった。その言葉ひとつひとつが理沙の全身に覆われた怒りの衣をはがし、今度は悲しみで覆い尽くした。
 理沙はやっと、自分が何に対して怒っていたのかを理解した。怒りの根本は、サツキでもなければ純也でもなく、ましてや麻子にではなかった。理沙の怒りは自分に向いていたのだ。
 何も知らない自分。それがイヤだと思った自分。知ったうえでの覚悟など何もなかった。それでも闇雲に知りたいと思った。家族なんだから私には知る権利があると思っていた。
 この人たちは、全てを知っていながらあえて言おうとしなかった。それを無理矢理聞きだし、勝手に傷ついたのは私だ。私の・・・方だ・・・。
 見えるということは、こんなにも辛いことだったのかと、理沙は今更ながら思っていた。

 小さいころから、再び目が見えるようになりたいと、ただそれだけを願い続けていた。
 見たかった。この世の全てが見たかった。
 美しくきらめくような海や空。木々の葉が涼しげな風に揺れる心地いい景色。人々が注ぎあう優しい微笑み。
 目の見える人の世界には、キレイなものが溢れていると思っていた。そう思わせてくれたのは、他でもない麻子だったのだ。しかし見えるようになった途端、麻子は自分の前から姿を消した。
 なんて皮肉なんだろう。きっと麻子の目に映る世界には、美しいものなどどこにもなかったのだ。
 世界は美しいと教えてくれた麻子の本当の心・・・。それはいったいどこにあるのだろうか。

 理沙は、聞き耳を立てなければならないほどかすかな声で、ポツリポツリとつぶやきはじめた。
「小さいころ、目が見えたらどんなに素晴らしいだろうって、ずっと想像してました。飼っていた犬の顔や、お姉ちゃんが私のために作ってくれる美味しいご飯。楽しそうなテレビや、公園に咲いているいい香りの花。それが見えたらどんなに素敵だろうって。でも、目が見えるって、こんなにも苦しくてイヤらしくて、重い現実を見ることなんですか? 何も知らない無知でバカな自分を知るためなんですか?」
 理沙の声は、かすれながらも徐々に大きくなっていった。その声は絶望に色濃く染まり、理沙を見えなかった時よりももっともっと暗い、闇に包まれた世界へと運んでいった。
「見えないままなら知らずにすんだんですか? だからお姉ちゃんは私から離れていったんでしょうか。・・・そんなこと、誰も教えてくれなかった。お母さんも純也さんも・・・私の目が治ることをあんなに喜んでた。それは、これを見せるためだったんですか? ・・・私・・・見えることがこんなに辛いなんて思わなかった。全然・・・知りませんでした」
 理沙は力なくソファに座り、ポロポロと泣きはじめた。
 サツキは半分呆れ、しかし半分で、無性に愛しいものを見るように微笑んだ。
「あなたは本当に、何も知らないまま育ってしまったお嬢さんなのね。きっと麻子さんが、あなたを大事に大事に守ってきたのね・・・」
 理沙は涙で潤んだ瞳をゆっくりとサツキに向けた。
 何も知らないお嬢さん・・・それはそうかとサツキは思った。この子はまだ、目が見えるようになってたった2年しか経っていないのだ。つまりは2歳の赤ちゃんと同じということだ。何も知らなくて当たり前。見えなくて当然なのかもしれない。
「あのね、理沙さん。目が見えるって、っていうかこの世界って、キレイなものや正しいものばかりじゃないわ。もっと言えば、汚いものとか醜いものばかりで溢れてるの。でもね、私思うのよ。本当にキレイなものや正しいものって、汚いものや醜いものの奥にあるんじゃないかって」
「・・・奥?」
「そう。汚いものや醜いものの奥にある真実。それを見極める目を持っていれば、いつだって本当にキレイなものや正しいものを見られるわ。表面上どんなに薄汚れて見えても、その奥にあるものが同じように薄汚れているかなんて誰にもわからない。世の中には、理沙さんみたいに実際にものが見えなかった人、今も見えない人っては少ないわ。でも、物事の真実が見える人は、もっともっと少ないの。それは、実際に目が見える見えないには関係ない。誰でも持っている心の目が開いているかどうかの問題なのよ」
 サツキはそう言うと、まるで母親が、生まれたての赤ん坊に見せるような笑顔を理沙に向けた。
posted by 夢野さくら at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 14番目の月