2008年12月28日

2

「こんばんはぁ・・・」
「つかさちゃんじゃないの! ご無沙汰ねぇ。元気だった?」
 ダンボが嬉しそうに声をかけた。
 つかさと美鈴は、純也を最悪のタイミングで陽平に出会わせてしまってからというもの、なんとなく責任を感じて店から足が遠のいていた。
「うん・・・私は元気。えっと、まだお客さん誰も来てないよね」
 つかさは店の入口に立ったまま、客の入りを確かめるように店内を見回した。
 まだ開店間もない午後8時ちょっとすぎ。『紫頭巾』が賑わいをみせるのはいつももう少しあとになってからだ。
「そんなところで突っ立ってないで入ったら?」
 ダンボがそう言うと、つかさはヘヘッと笑いながら入ってきた。
 つかさのあとから、美鈴が見慣れない女の子をひとり連れて入ってくる。それを見たサツキは、満面の笑みで3人を迎えた。
「あらぁ、美鈴ちゃん! 新しいお客さんを連れてきてくれたの? 会社の後輩かしら? さぁさぁここに座って。とりあえずビールでいい? それとも焼酎?」
 美鈴が連れてきた女の子は、このような店に入るのは初めてのようで、サツキたちのいつもの濃〜いメイクや紫に統一された服装と店内を、落ち着かなげに見回している。23、4歳と思われる女の子は、可憐で初々しい空気を醸し出し、『紫頭巾』には思いっきり場違いだった。
 サツキは女の子と目が合った瞬間、誰かに似ていると思った。他のオカマたちも同様の印象を持ったらしい。つかさたちが席に着いた途端、オカマ全員で3人を取り囲み、ジロジロと遠慮などどこにも存在しないといった視線で彼女を眺めまくった。
 マルコは以前美鈴がキープした焼酎のボトルから、3人にウーロン茶割りを作りながら言った。
「ねぇねぇ、彼女芸能人の誰かに似てるって言われない? なんか見たことある気がするのよねぇ」
「あたしもそう思ったの! やっぱりマルコちゃんも思ってたのね」
「リリィちゃんも?!」
「誰かしら? ねぇダンボちゃん、誰だと思う?」
「う〜ん・・・」
 その会話を聞きながら、つかさと美鈴はこそこそと『あんた言いなさいよ、え〜言ってくださいよぉ』とのジェスチャーを繰り広げていた。
 それに気づいたダンボが「何? なんかあったの?」と尋ねると、美鈴は仕方なく口を開いた。
「えっと、彼女は会社の後輩とかじゃないの。あの・・・物凄く言い難いんだけど・・・野村さんの妹さん・・・なの」
「野村理沙です。はじめまして」
 驚いたのはオカマたちだ。
 なんで野村さんの妹がここに来るの? 自分たちはもうあの件には首を突っ込まないようにしようと決めたのよ。困るわ! 困るわよぉ! と蜂の巣を突いたような大騒ぎを見せ、動揺しまくった挙句に3人のために作ったウーロン茶割りをつかみ上げ、おもむろにゴクゴクと呑み干した。
 ウーロン茶割りのおかげで少しだけ冷静さを取り戻したサツキは、理沙の様子を伺いながらオズオズと尋ねた。
「あの・・・美鈴ちゃん? いったいどういうことなのかしら?」
「それは・・・」
 理沙が美鈴を庇うように言った。
「私が突然銀行に押しかけたのがいけないんです。姉が銀行を辞めたって聞いて私・・・」
「え〜!!! 銀行を辞めたぁ〜!!!」
 驚きの末に出たオカマたちのびっくり声は、表を歩いていた通行人7人の耳を難聴にさせた。
posted by 夢野さくら at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 14番目の月

2008年12月21日

第4章 1

 新宿歌舞伎町の月曜深夜3時過ぎ。
 いかにも夜の職業についてます的な女の子数人が、今夜もリリィの占い屋に列を作っている。
「先生! ちゃんと聞いてます?」
 占い中だというのに、リリィはボーッと考えごとをしていた。
 目の下には濃いクマがあり、長期間の寝不足を物語っている。
 純也と会い、信じられないような話を聞いてからもう1ヶ月近くが経っていた。陽平はこちらで対処すると言ったきり何も言ってはこない。いったい今はどうなっているのかとリリィは気になって仕方がなかった。つかさと美鈴もあれから一度も店に顔を見せない。そのうえママから、当分『新宿メンタルクリニック』へ行ってはいけないし、この問題に首を突っ込むことも禁止と言われてしまった。もうクリニックの玄関に鍵はかかってないし、行けばなにかしらの情報が得られるはずなのにそれもできない。リリィの目の下のクマは、我慢がついに限界に達した証拠で、ここ一週間ばかり、寝る時間を削っていろいろ調べていたのだ。
 純也の話を聞き終わった時、陽平は確かにこう言った。
「こちらで対処の方法を考えます」
あの様子を見た限りでは、麻子がなんらかの病気にかかっていることは間違いないと思う。そしてそれは、当初麻子が言っていたただの不眠症ではないはずだ。ではいったい何の病気なのだろう。パソコンでの検索や書籍等を駆使し、リリィはできうる限りの方法で調べまくった。
 リリィはあの日の自分の行動を後悔していた。後先考えず純也をみんなに紹介し、話を聞かせた。もちろんあの時はそうすべきだと思ったからだ。
 あのままでは先生がかわいそうだ。麻子さんは先生と付き合っていながら、繰り返し他の男と寝ている。いくらなんでもあんまりではないか。
 もちろんその行動に辻褄の合わなさを感じてはいても、麻子の行為はひどすぎると思った。先生を裏切るものだと怒りが込み上げていた。だからこそみんなに話を聞かせ、先生に真実を見てもらい、目を覚ましてほしかったのだ。先生の選んだ人はこんなひどいことをしてますよ。淫乱で最低の尻軽女ですよ。
 でもあの時ママはこう言った。
「行動には全て原因があって、それがわからないうちは何も言えないわ。もしかして本当にかわいそうなのは、先生ではなく野村さんかもしれないのよ」
 そんなママの言葉の意味を理解する前に先生が店にやってきてしまった。自分が純也を連れて行ったことで、最悪の形で全てを知らせる結果となった。
 自分はなんてバカだったんだろう。なんて考え足らずだったんだろうかとリリィは思っていた。
 だからこそ知りたいと思った。知らなかったんだから仕方がない。そう言ってしまうのは簡単だ。だが無知というのは、悪気がないだけに一番罪深いのではないか。わかったからといって何もできないかもしれない。けれどももしかしたら、自分にも何か力になれることがあるかもしれない。
 そして昨日の明け方、ついにリリィは、麻子の病気は『セックス依存症』なのではないかとの結論に達した。
 リリィはそんな病気があることなどこれっぽっちも知らなかったが、純也の話や美鈴の話、そして自分が寝食を忘れて調べつくした結果、全てはそれを示していたのだ。
 里山の話では、つい最近麻子は『新宿メトロプラザホテル』から出入り禁止となったらしい。
 いったい麻子はなぜそんな病気になってしまったのだろう。その原因はどこにあるのか?
 わからない。自分にはまるでわからない。
 でも、自分は何もわかっていないのだと知ることは、決して悪いことじゃないのだとリリィは思っていた。

「先生ったら! 早く占ってください」
「えっ? ああ・・・」
 リリィはボーッと水晶玉を見つめていたが、全く占いに集中できない自分を感じた。集中できないのだから、いくら水晶玉を凝視しても何も見えてはこない。
 ふと顔を上げると、諦めたような顔で帰っていく数人の女の子が見えた。
「リリィ先生最近おかしいよ。どうかしちゃったみたい」
「失恋かなぁ?」
「恋愛専門の占い師が?」
「ほら、占い師って自分のことは占えないって言うじゃん」
「並んでても無駄だよぉ」
 列の前の方にいた女の子が、後ろの子たちに声をかけた。
 自分のことは占えないか・・・。自分を知るって一番難しかったんだわ。『自分のことは自分が一番よくわかってる』と言う人は結構いるけど、それは違うわね。だって本当にそうならこんなに占いが流行るわけないもん。あ〜あ・・・誰か私がこれからどうすればいいのか占ってくれないかしら。
 リリィは本日108回目の大きなため息を漏らすと、肩をがっくりと落として落ち込んだ。
posted by 夢野さくら at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 14番目の月

2008年12月14日

11

 純也は全てを話し終え、黙り込んでひと言も口をはさもうとしなかった陽平を見つめた。
 あまりのショックで頭が混乱し、つかさや美鈴も口を開こうとしない。
 『紫頭巾』には、いまだかつてないほどの暗い緊張が張り詰めていた。

 陽平は純也の話を笑い飛ばそうとした。
 そんな話はバカげている。麻子がそんなことをするはずがないし、する必要もない。自分は麻子の彼であると同時に主治医でもある。なぜその自分が何も知らないのか? ありえない。その話は全て嘘か勘違いだ。そうだ、そうに決まっている。
 陽平は思いっきり笑おうとした。お腹を抱えて笑おうとした。しかし、笑おうとする口元は歪んでいくばかりで、微笑むことすらできない。陽平には思い当たることがあまりにも多すぎたのだ。
 麻子と付き合い出して3ヶ月、相変わらず麻子と外で会ったことはない。それどころか、部屋の中ですら、食事をしたことも、音楽を聴いたり映画を観たりといった、普通の恋人同士なら当たり前にすることを、今まで一切してこなかった。
 麻子は会った途端に服を脱ぎ捨て、セックスをせまる。麻子から漏れる『愛してる』という言葉を聞きたいがために、暖かい身体のぬくもりに触れたいがために、陽平は黙って麻子に従う。
 こんなことはいけないとわかっていた。麻子は病気だ。セックス依存症なのだ。
 陽平の頭はそう確信していた。だが心はその考えに霧をかけ、見ないようにしていた。
 ・・・それも終わりにしなければならない。これ以上こんな関係を続けていたら、麻子の病気はますます悪くなる一方だ。
 セックス依存症はそのひとつの症状、つまり今の麻子のように、知らない男とのセックスを繰り返すという行動を取り続けた場合、性病を患ったり、危険なことに巻き込まれる可能性が非常に高いのだ。だからどうしてもその前に止めさせなければならない。
 わかっている。わかり過ぎるほどわかっていながら、陽平の心は切ない悲鳴をあげていた。
 麻子の心が自分に向いていなくても、肌を合わせている時の麻子はあまりにも暖かく愛しかった。どんどん独りぼっちになっていく心と反比例して、身体はますます熱くなっていった。飽きることなく麻子を求め、むさぼった。こんな恋愛関係はおかしい、普通じゃないとわかっていながら、どうしても止めることができなかった。セックスを拒絶したら、麻子は自分の元を去っていくのではないか。それがどうしようもなく怖かった。
 なぜこんなことになってしまったんだろう。麻子はなぜ自分と付き合い始めたのか。麻子にとって、自分はいったいどんな存在なのだろうか。
 陽平はその答えを、どうしても麻子の口から聞きたかった。そして、絶対に聞きたくなかった・・・。

「先生・・・大丈夫ですか?」
 ジッと下を向いたまま黙り込んでいる陽平に、マルコがオズオズと声をかけた。
 陽平は、心配そうに彼を見つめる一同にぎこちない笑顔を見せると、医者としての態度を取り繕った。
「・・・大丈夫ですよ。心配しないで下さい。田島さん、話して頂いてよかったです。こちらで対処の方法を考えます。妹さんにはまだおっしゃらない方がいいでしょう」
「対処、ですか?」
 対処・・・それはいったい何をすることなのだろうかと純也は思った。
「詳しいことは申し上げられませんが、一刻も早くなんとかしなくてはと思っています」
「それは、お義姉さんが病気だということですか? いったい何の病気なんです?」
「・・・守秘義務というものがありますのでそれは言えません。野村さんと会って話をしなければ、私にも正確なところはわからないんです」
「でもお義姉さんは、今までずっと先生の診察を受けてたんですよね? なのになぜわからないんですか?」
 純也の純粋な疑問が、陽平にはまるで、自分を責めているように感じられた。
 そうだ。この人の言う通りだ。あれだけずっと麻子を診ていながら、自分はいったい何をしてきたのだろうか。
 麻子はあんなに眠ることを嫌がっていた。夢を見ることを怖がっていた。そこに大きなヒントがあったのではないか。麻子をそこまで追い込んだ原因はどこにあるのか。どうしてもっとちゃんと追求しなかったのだろう。それに、原因はどうあれ、自分は麻子がセックス依存症であることをとっくに気付いていたはずではないのか。セックス依存症患者にとって、セックスの衝動を抑えることが一番大事であるはずなのに、全く止めさせることができなかったばかりか、一緒になって溺れていった。どうしてあの時すぐに対処をしなかったのか。麻子が自分から離れていくかもしれないという恐ろしさに、その時一番しなければならなかったことから目を背けた。麻子の心がボロボロになるかもしれないのに、麻子の身体に危険が及ぶかもしれないのに、その全てに目を背け、自分が心地いいと感じることだけを選択した。自分には麻子を愛する資格も、ましてや主治医である資格などない・・・。
 陽平の心は、自分への絶望感に叫び出しそうだった。生まれて初めて、自分の心があげる、全てを切り裂くような悲鳴を聞いた。

 もしかしたら麻子は、こんな声を途切れることなく聞き続けていたのかもしれない・・・。
posted by 夢野さくら at 14:41| Comment(0) | 14番目の月