オカマたちは、由紀の罠かもしれない誘いに乗り、『新宿メンタルクリニック』の待合室に集まった。
3ヶ月ぶりに陽平に会えるのだという期待で全員の胸ははちきれそう。
一同身だしなみに気を遣い、メイクも怠りなく万全の体制。約3ヶ月ほど漂っていなかったオカマ臭が、今また待合室中に充満していた。
由紀はそんなオカマたちを、なぜか楽しげに見つめていた。
オカマたちはそんな由紀に気付くと、油断は禁物とばかり落ち着かなげにキョロキョロと周囲を見渡したり、物音に気を配ったりしていた。
耳を済ませたオカマたちに、トントンと階段を降りる軽やかな足音が聞こえてきた。
いよいよ先生が登場するのねぇ! という緊張と感激で、オカマたちは一斉に階段を振り返った。
「サツキさん? あら、みなさんお揃いだったんですね。お久しぶりです」
階段を降りてきたのは、たった今診察を終えたばかりの麻子だった。
顔がほんのり上気していて血色がいい。
2ヶ月ほど前、つかさたちから聞いた麻子とはまるで違って見える。つかさたたちは、麻子の体調が相当悪くなっていると言っていたのだ。
しかし今見る麻子は、まるで体調が悪そうには見えない。
不眠症もその他の問題も、クリニックに通い続けることで解消したのだろうとサツキは思った。
「まぁまぁ野村さん! お久しぶり。お元気そうですね。ねぇみんなそう思わない?」
「顔色もすごくいいわぁ。なんだか見違えちゃいました。一層おキレイになられたみたい」
ダンボがすかさずサツキの意図・・・超上客ゲット作戦・・・を汲み取り追い討ちをかける。
「ありがとうございます。お店全然伺えなくて申し訳ありません。相変わらず仕事が山積なもので」
「大変ですねぇ。この前つかさちゃんたちが、野村さんの具合が悪そうだって言ってたんで、心配してたんですよ」
そうサツキが言った途端、麻子の顔色がサッと変わった。声も幾分低くなったように感じ、表情がわずかに険しくなった。
「川崎さんが?」
「えっ? ええ・・・。美鈴ちゃんもいたんですけどね。2人とも心配してましたよ」
サツキは麻子の変化に戸惑った。
いったいどうしたというのだろう。何か変なことでも言ってしまったのか。
オカマたちと麻子の会話を聞いていた由紀も、怪訝そうな顔で麻子を見つめている。
その時、陽平がA4サイズの書類袋を片手に階段を降りてきた。
「麻子! 忘れ物」
その途端、オカマたちの血の気が一斉に引いた。
・・・先生今、野村さんのこと麻子って呼んだ・・・。
「あれ? サツキさん。みなさん久しぶりですね。お元気でしたか?」
オカマたちは、自分たちにとってとてつもなく恐ろしい事態が起きたことを直感した。
何これ! どういうことなの?!
全員ショックで失神しそうだ。
陽平が愛しそうに麻子を見つめ、書類袋を手渡した。
「大事なんだろ。気を付けろよ」
「ごめん、ありがとう」
麻子も陽平にニコッと微笑みを返す。
オカマたちは、3ヶ月間ここにいなかったことを今猛烈に、そして激しく後悔していた。
「それじゃあ私行くね」
「ああ」
麻子はオカマたちに丁寧に頭を下げてクリニックを出て行った。
由紀はその後姿を見送り、満足そうに微笑んだ。
「先生。次の患者さんは1時間後ですから」
「OK。じゃあ皆さん、ゆっくりしていってください」
ショックのあまり石像化したオカマたちを残し、陽平は足取りも軽やかに診察室へと戻っていった。
2008年09月28日
2
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| 14番目の月
2008年09月19日
第3章 1
『新宿メンタルクリニック』の待合室に『紫頭巾』のオカマ総勢4名がたむろっていた。
ここに来るのは3ヶ月ぶり。いつ先生にお目にかかれるのかとそわそわドキドキ落ち着きがない。
なぜなら昨日までのクリニックには玄関に鍵がかかり、オカマたちは撃退の憂き目にあっていたのだ。
陽平先生を見る! その事に命を懸けていたオカマたちにとって、この3ヶ月は好物を奪われた子供のように、毎日をしょんぼりと過ごすしかなかったのだ。
しかし諦めるということを知らないオカマたちは、毎日必ず鍵のかかり具合を確かめに来ていた。
するとどういうわけか今日は鍵が開いている。罠かもしれないわと思いつつ、本日の鍵当番であったマルコがそっと玄関ドアを開けた。
待合室には天敵の由紀がいて、クラシックのBGMを聞きつつ自分で入れたハーブティーを優雅に飲んでいる。
「あら、『紫頭巾』のマルコさんじゃないですか。お久しぶりですね」
どういう風の吹き回しなのか、由紀はニコニコとマルコに挨拶をした。
「な・・・ななななんなのよ、あんた。なんの罠よ!」
驚いてちょっとどもっちゃったマルコは、目をむき出しすかさず由紀への戦闘態勢を取った。
「罠だなんて何言ってるんですか? イヤだなぁもう。何もありませんよ。よかったらまたみなさんでいらっしゃいませんか?」などと、とても彼女らしくない言葉が由紀の口をついて出た。
あまりのことに口をあんぐりと開け、マルコは逆にビビった。
正面切って、出て行けだの、いい加減にしろだのと言われているうちはいくらでも反撃できた。しかしこういう態度に出られると、反って何を言っていいのかわからない。
どこかにとんでもない罠が隠されているのではないか。今にもソファの影から屈強な女子プロレスラーが躍り出て、遠くに売られるんじゃないかしら。
まるで現実的ではないことを考え、マルコはビビリまくった。
由紀はそれを面白そうに眺めながら「美味しいハーブティーがあるんです。よろしかったらみなさんもいかがです? 私、心を込めて淹れますから」と微笑んだ。
「わかったわ! あんたハーブティーに毒薬仕込むつもりね。そうは問屋が卸さないわよ。あたしたちは騙されませんからね。そうか、そういうことだったのね。あんたの悪事はお見通しよ」
「・・・そうですか。何もないって言ってるのに、そんなに信じられないならもういいです。せっかくみなさんをまた待合室にご招待しようかなぁと思ったけど、しょうがないですね。じゃあまた鍵かけますから出て行ってくださいな」
由紀はいかにも残念そうにため息を吐いた。
「先生とも全然会ってないだろうから、かわいそうだなぁと思ってたのに。あ〜あ・・・気ぃ遣って損しちゃった」
「あんたがあたしたちに気を遣ったですって?」
今までのバトルがあるので、マルコはいまいち由紀の言葉を信用しきれない。しかしまた鍵をかけられてしまえば、今度いつ陽平に会えるかわからない。
マルコはどうしたらいいのかと迷い、悩みまくった。
悩みつつ、そっと上目使いに由紀を見る。由紀はしらっとした顔でハーブティーを飲んでいる。
ええい! 毒を食らえば皿までよとばかり、マルコは決意を固めて言った。
「・・・わかったわ。ちょっと待ってて。みんなを連れてくるから」
「すぐ来てくださいね。あんまり遅くなるようだったらまた鍵かけちゃいますよ」
由紀がニヤッと笑う。やっぱり騙されている・・・そんな考えがマルコの脳裏をよぎるが、背に腹は代えられない。
「わ、わかったわよ。あんたそこ動かないでよ。すぐ連れてくるから!」
全く釈然としないが、マルコは『紫頭巾』のオカマたちの総意「先生に会いたいんだも〜ん!」を最優先にし、待合室を飛び出していった。
ここに来るのは3ヶ月ぶり。いつ先生にお目にかかれるのかとそわそわドキドキ落ち着きがない。
なぜなら昨日までのクリニックには玄関に鍵がかかり、オカマたちは撃退の憂き目にあっていたのだ。
陽平先生を見る! その事に命を懸けていたオカマたちにとって、この3ヶ月は好物を奪われた子供のように、毎日をしょんぼりと過ごすしかなかったのだ。
しかし諦めるということを知らないオカマたちは、毎日必ず鍵のかかり具合を確かめに来ていた。
するとどういうわけか今日は鍵が開いている。罠かもしれないわと思いつつ、本日の鍵当番であったマルコがそっと玄関ドアを開けた。
待合室には天敵の由紀がいて、クラシックのBGMを聞きつつ自分で入れたハーブティーを優雅に飲んでいる。
「あら、『紫頭巾』のマルコさんじゃないですか。お久しぶりですね」
どういう風の吹き回しなのか、由紀はニコニコとマルコに挨拶をした。
「な・・・ななななんなのよ、あんた。なんの罠よ!」
驚いてちょっとどもっちゃったマルコは、目をむき出しすかさず由紀への戦闘態勢を取った。
「罠だなんて何言ってるんですか? イヤだなぁもう。何もありませんよ。よかったらまたみなさんでいらっしゃいませんか?」などと、とても彼女らしくない言葉が由紀の口をついて出た。
あまりのことに口をあんぐりと開け、マルコは逆にビビった。
正面切って、出て行けだの、いい加減にしろだのと言われているうちはいくらでも反撃できた。しかしこういう態度に出られると、反って何を言っていいのかわからない。
どこかにとんでもない罠が隠されているのではないか。今にもソファの影から屈強な女子プロレスラーが躍り出て、遠くに売られるんじゃないかしら。
まるで現実的ではないことを考え、マルコはビビリまくった。
由紀はそれを面白そうに眺めながら「美味しいハーブティーがあるんです。よろしかったらみなさんもいかがです? 私、心を込めて淹れますから」と微笑んだ。
「わかったわ! あんたハーブティーに毒薬仕込むつもりね。そうは問屋が卸さないわよ。あたしたちは騙されませんからね。そうか、そういうことだったのね。あんたの悪事はお見通しよ」
「・・・そうですか。何もないって言ってるのに、そんなに信じられないならもういいです。せっかくみなさんをまた待合室にご招待しようかなぁと思ったけど、しょうがないですね。じゃあまた鍵かけますから出て行ってくださいな」
由紀はいかにも残念そうにため息を吐いた。
「先生とも全然会ってないだろうから、かわいそうだなぁと思ってたのに。あ〜あ・・・気ぃ遣って損しちゃった」
「あんたがあたしたちに気を遣ったですって?」
今までのバトルがあるので、マルコはいまいち由紀の言葉を信用しきれない。しかしまた鍵をかけられてしまえば、今度いつ陽平に会えるかわからない。
マルコはどうしたらいいのかと迷い、悩みまくった。
悩みつつ、そっと上目使いに由紀を見る。由紀はしらっとした顔でハーブティーを飲んでいる。
ええい! 毒を食らえば皿までよとばかり、マルコは決意を固めて言った。
「・・・わかったわ。ちょっと待ってて。みんなを連れてくるから」
「すぐ来てくださいね。あんまり遅くなるようだったらまた鍵かけちゃいますよ」
由紀がニヤッと笑う。やっぱり騙されている・・・そんな考えがマルコの脳裏をよぎるが、背に腹は代えられない。
「わ、わかったわよ。あんたそこ動かないでよ。すぐ連れてくるから!」
全く釈然としないが、マルコは『紫頭巾』のオカマたちの総意「先生に会いたいんだも〜ん!」を最優先にし、待合室を飛び出していった。
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| 14番目の月
2008年09月12日
9
翌日、麻子は会社に遅刻した。入社してからはじめてのことだ。
一晩中セックスを繰り返し、明け方心の底から安心して眠りに落ちた。
気が付くと朝の10時を回っていた。男はもういなかった。荷物もない。ベッドのサイドテーブルに「昨日はとても素晴らしかった。ゆっくり寝ていきなさい」というメッセージが置かれていた。
名前も素性も、何ひとつ聞いていない。もちろん連絡先もわからない。あの素晴らしい夜を味わうことは、もう二度とできないのだろうか。
麻子は急いで支度をし、フロントへと降りていった。
当然のことながら男のことは何もわからずじまいだった。
何だか夢を見ているようだ。あれは本当にあったことなんだろうか。
麻子の頭は混乱していた。会社へとタクシーを飛ばしながら、昨晩の出来事をひとつひとつ思い出してみた。
男の手がどんなふうに自分に触れたのか。どういうふうに胸をまさぐり、舌を這わせたのか。胸、腹、腰と手が降りていき、濡れた谷間に指が触れた時、自分はどんな声を出したのか。
ああ・・・あれは幻ではなかった。私はあの時、確かに価値のある存在になっていた。男を喜ばせ、有頂天にさせる存在だった。
麻子は昨夜の思い出に酔い、快感に身をゆだね、身体の芯が熱く燃えた。激しい快感が麻子の全身に鳥肌を立たせ、小さい吐息を吐き出させる。
タクシーの運転手がそれを怪訝そうに見ていたが、今の麻子はそれを恥ずかしいとは思わない。誰にも邪魔されず、ただそうしていたかった。止めてしまえば現実は容易に麻子に迫り来る。それを止めることができるのは、セックスの快感を思い出し、それに溺れることだけなのだ。
その日以来、麻子は度々あの快感を思い出すようになった。理沙の手術の準備が着々と進み、麻子はさらに忙しくなった。
疲れさえ取れればきっと理沙に「頑張って」と言える。そう思っていたのだけど、日一日と手術が近づき、麻子の胸の重苦しさはますます増していった。
自分は理沙を心から愛しいと思っていたはずだ。なのになぜ手術を喜べないのか。どうしてこんなに悲しく、イラつくのか。
麻子の心には濃い霧がかかっていた。自分の本当の心の行方を、自分で見ることができなかった。
眠れない日々が続いた。手術はもうそこまで迫ってきている。
理沙は毎日不安そうな顔を見せ、見えない目で麻子を見つめ、「大丈夫。お姉ちゃんがついてるから」と、麻子に言ってほしがっていた。
それを十分わかっていながら、麻子は優しい言葉のひとつもかけてやれなかった。
理沙は何も悪くない。悪いのは私なのだと麻子は自分を責め続けた。
「誰のせいで理沙の目が見えなくなったと思ってるんだ。全てお前のせいじゃないか。お前の心は歪んでいる。どうしようもなくいびつだ。この世にいる価値など少しもない存在。いっそ消えてしまえばいい」
毎晩毎晩、眠ろうとする麻子に誰かがそうささやくのが聞こえた。
そんな時、まるで宝物のように、あの男とのセックスを思い出した。
男はあれほど自分を賛美したではないか。目を細め、麻子の身体を素晴らしいと言ったではないか。私に価値がないわけじゃない。そう、消えてなくなる必要なんてどこにもないのだ・・・。
あの記憶ひとつひとつを思い出す時、麻子の心はほんの少し軽くなった。もう一度男に会いたいと思った。会って抱いてほしいと願った。しかしあれから一度も『新宿メトロプラザホテル』のバーラウンジには行っていない。そんな時間の余裕などまるでなかったのだ。
日が経つにつれ、あんなに強烈だった男との記憶も徐々に薄れていった。顔も空ろになり、声も思い出せない。
男の名前を聞かなかったことを、麻子は心の底から後悔した。想い出を蘇らせる時、男の名を呼ぶことができない。そのことがあの夢のようなセックスを、どんどん現実感のない幻に変えていく。
麻子は無性に怖くなった。この記憶全てが無くなってしまったら、自分はどうなってしまうのだろう。またひとり、深い霧の中に取り残されるのか。足掻いても足掻いても見ることができない自分の心と、たったひとりで対面しなくてはならないのか。そうなったら、自分は正気でいられるだろうか・・・。
セックスをしなくてはいけない。
突然麻子の心が命令を下した。もうあの男とは会えない。それはわかっている。だったら他の男でもいい。
自分を欲しいと言ってくれる男。抱きたいという男を今すぐ手に入れるのだ。その男と一晩中、身体が悲鳴を上げるほどセックスをし続ける。
自分を賛美してくれる男。麻子でなければダメだと言ってくれる男。自分に価値を見出してくれる男。そして力強く、壊れるほど突いてくれる男。
麻子の全身に、ブルッと震えが起こった。同時に薄らいでいたセックスの快感が鮮やかに蘇った。
そうだ。なんでもっと早く気付かなかったんだろう。さっさとこうすればよかったんだ。何をグズグズ悩んでいたんだろう。
麻子は急に可笑しくなった。心の底から笑いがこみ上げてくる。クスクスと笑いながら、麻子はクローゼットに向かった。
「スーツじゃ地味ね。でも派手な服は・・・持ってないな。こんなんじゃダメだわ。これからもっといろんな服を買わなくちゃ」
麻子は楽しそうにつぶやいた。瞳がキラキラと輝き、生気が満ちてきた。
クローゼットの中は、紺や黒やベージュといった堅そうな色のスーツばかりが目立つ。
麻子はゴソゴソとクローゼットを漁り、なるたけ男の気を引きそうな明るめの服を探した。
「しょうがない。今はこれしかないんだもの」
白いノースリーブのブラウスに、若草色のタイトスカートを身に付け、麻子は鏡に向かって念入りにメイクを始めた・・・。
一晩中セックスを繰り返し、明け方心の底から安心して眠りに落ちた。
気が付くと朝の10時を回っていた。男はもういなかった。荷物もない。ベッドのサイドテーブルに「昨日はとても素晴らしかった。ゆっくり寝ていきなさい」というメッセージが置かれていた。
名前も素性も、何ひとつ聞いていない。もちろん連絡先もわからない。あの素晴らしい夜を味わうことは、もう二度とできないのだろうか。
麻子は急いで支度をし、フロントへと降りていった。
当然のことながら男のことは何もわからずじまいだった。
何だか夢を見ているようだ。あれは本当にあったことなんだろうか。
麻子の頭は混乱していた。会社へとタクシーを飛ばしながら、昨晩の出来事をひとつひとつ思い出してみた。
男の手がどんなふうに自分に触れたのか。どういうふうに胸をまさぐり、舌を這わせたのか。胸、腹、腰と手が降りていき、濡れた谷間に指が触れた時、自分はどんな声を出したのか。
ああ・・・あれは幻ではなかった。私はあの時、確かに価値のある存在になっていた。男を喜ばせ、有頂天にさせる存在だった。
麻子は昨夜の思い出に酔い、快感に身をゆだね、身体の芯が熱く燃えた。激しい快感が麻子の全身に鳥肌を立たせ、小さい吐息を吐き出させる。
タクシーの運転手がそれを怪訝そうに見ていたが、今の麻子はそれを恥ずかしいとは思わない。誰にも邪魔されず、ただそうしていたかった。止めてしまえば現実は容易に麻子に迫り来る。それを止めることができるのは、セックスの快感を思い出し、それに溺れることだけなのだ。
その日以来、麻子は度々あの快感を思い出すようになった。理沙の手術の準備が着々と進み、麻子はさらに忙しくなった。
疲れさえ取れればきっと理沙に「頑張って」と言える。そう思っていたのだけど、日一日と手術が近づき、麻子の胸の重苦しさはますます増していった。
自分は理沙を心から愛しいと思っていたはずだ。なのになぜ手術を喜べないのか。どうしてこんなに悲しく、イラつくのか。
麻子の心には濃い霧がかかっていた。自分の本当の心の行方を、自分で見ることができなかった。
眠れない日々が続いた。手術はもうそこまで迫ってきている。
理沙は毎日不安そうな顔を見せ、見えない目で麻子を見つめ、「大丈夫。お姉ちゃんがついてるから」と、麻子に言ってほしがっていた。
それを十分わかっていながら、麻子は優しい言葉のひとつもかけてやれなかった。
理沙は何も悪くない。悪いのは私なのだと麻子は自分を責め続けた。
「誰のせいで理沙の目が見えなくなったと思ってるんだ。全てお前のせいじゃないか。お前の心は歪んでいる。どうしようもなくいびつだ。この世にいる価値など少しもない存在。いっそ消えてしまえばいい」
毎晩毎晩、眠ろうとする麻子に誰かがそうささやくのが聞こえた。
そんな時、まるで宝物のように、あの男とのセックスを思い出した。
男はあれほど自分を賛美したではないか。目を細め、麻子の身体を素晴らしいと言ったではないか。私に価値がないわけじゃない。そう、消えてなくなる必要なんてどこにもないのだ・・・。
あの記憶ひとつひとつを思い出す時、麻子の心はほんの少し軽くなった。もう一度男に会いたいと思った。会って抱いてほしいと願った。しかしあれから一度も『新宿メトロプラザホテル』のバーラウンジには行っていない。そんな時間の余裕などまるでなかったのだ。
日が経つにつれ、あんなに強烈だった男との記憶も徐々に薄れていった。顔も空ろになり、声も思い出せない。
男の名前を聞かなかったことを、麻子は心の底から後悔した。想い出を蘇らせる時、男の名を呼ぶことができない。そのことがあの夢のようなセックスを、どんどん現実感のない幻に変えていく。
麻子は無性に怖くなった。この記憶全てが無くなってしまったら、自分はどうなってしまうのだろう。またひとり、深い霧の中に取り残されるのか。足掻いても足掻いても見ることができない自分の心と、たったひとりで対面しなくてはならないのか。そうなったら、自分は正気でいられるだろうか・・・。
セックスをしなくてはいけない。
突然麻子の心が命令を下した。もうあの男とは会えない。それはわかっている。だったら他の男でもいい。
自分を欲しいと言ってくれる男。抱きたいという男を今すぐ手に入れるのだ。その男と一晩中、身体が悲鳴を上げるほどセックスをし続ける。
自分を賛美してくれる男。麻子でなければダメだと言ってくれる男。自分に価値を見出してくれる男。そして力強く、壊れるほど突いてくれる男。
麻子の全身に、ブルッと震えが起こった。同時に薄らいでいたセックスの快感が鮮やかに蘇った。
そうだ。なんでもっと早く気付かなかったんだろう。さっさとこうすればよかったんだ。何をグズグズ悩んでいたんだろう。
麻子は急に可笑しくなった。心の底から笑いがこみ上げてくる。クスクスと笑いながら、麻子はクローゼットに向かった。
「スーツじゃ地味ね。でも派手な服は・・・持ってないな。こんなんじゃダメだわ。これからもっといろんな服を買わなくちゃ」
麻子は楽しそうにつぶやいた。瞳がキラキラと輝き、生気が満ちてきた。
クローゼットの中は、紺や黒やベージュといった堅そうな色のスーツばかりが目立つ。
麻子はゴソゴソとクローゼットを漁り、なるたけ男の気を引きそうな明るめの服を探した。
「しょうがない。今はこれしかないんだもの」
白いノースリーブのブラウスに、若草色のタイトスカートを身に付け、麻子は鏡に向かって念入りにメイクを始めた・・・。
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| 14番目の月
2008年09月07日
8
ここはどこなんだろうと麻子は思った。
延々と続く担当医の話から開放されたあと、仕事に戻るからと駅に向かい電車に乗った。
何も考えられなくて、適当に乗り換え適当に降りた。
そこから行くあてもなく、ただただ歩き回った。
腕時計を見る。いつの間にか夜の8時を回っていた。
いつ日が暮れたのかも覚えてない。
忙しくて昼食を食べていなかったのに、お腹が空いたという感覚もない。
・・・疲れた。歩き回ったせいなのか。それとも理沙の手術のせいか。
たくさんの高いビルが立ち並ぶ通りを見上げると、正面に一軒のホテルがあった。
一軒というにはあまりにも大きく、正面玄関には『新宿メトロプラザホテル』とある。
いつの間にか、麻子は歌舞伎町に来ていたのだ。
ここで少し休もう。私は疲れすぎてるんだと麻子は思った。人事課長になってから仕事の内容も変わり、とてつもなく忙しくなった。理沙に「よかった」と言ってやれないのもたぶんそのせいだ。ここで少し休めば、きっと元の私に戻れる。
麻子は正面玄関からホテルに入り、ロビーに向かった。
部屋を取ろうと思った時、25階にバーラウンジがあるのがわかった。
急激に喉に渇きを覚えた。そうだ、まずは何か飲んで、休むのはそのあとにしよう。
麻子はエレベーターホールに向かい、25階を押した。
まだ時間が早いせいなのか、それほど混んではいない。
お一人様ですかと聞かれ、窓際の新宿新都心が見渡せる席に案内された。
ジントニックを頼み、一気に飲み干す。お代わりを頼み、それもすぐに飲み干した。
ラウンジ内を歩き回っているボーイがオーダーを取りに来た。
「お飲み物のお代わりはいかがですか?」
「もう少し強めのものが欲しいんだけど」
「かしこまりました。それではオリジナルを作らせましょう」
足の細いカクテルグラスは、キレイな真珠色の液体を湛えている。それは薄暗い明かりにもキラキラと美しく輝いて、一口飲むと、適度な辛みとほんの少しの甘みが喉を通過する。
「美味しい・・・」
フワフワとした感覚がやってきた。ほんの少しだけ酔いが回ったのだと、麻子は冷めた頭で考えた。
ただ、その酔いに全てを任せるには、麻子の心と身体は疲れ切っていた。一時(いっとき)も理沙の手術のことが頭から離れない。理沙の手術が成功したら、自分はどうなってしまうのだろう。もう私は理沙に必要な人間じゃなくなるのか。
イライラが消えない。何も考えたくない。でもどうしても理沙の事が頭から離れない。このままじゃどうにかなってしまいそうだ。
「隣、よろしいですか?」
背中の方で、低く響く声がした。
振り向くと、40代後半くらいだろうと思われる身なりのいい男が立っていて、ニコニコと微笑みながら麻子を見下ろしていた。
麻子は男という存在が嫌いだった。亡くなった父がいつもこう言っていたからだ。
『男というものは、どんな時でも麻子の身体を狙っている。だから決して近寄ってはいけないよ』
・・・本当にそうだと思う。男はみんな、いつも全身を舐めまわすようなぶしつけな視線を送ってくる。汚くてイヤらしい生き物だ。
普段なら即座に立ち上がり、もう出ますからと冷たく言うところだ。
だが今日の麻子は違っていた。フワフワとした現実感の薄い感覚の中で、麻子は男にニコッと笑い掛け、「どうぞ」と隣のスツールを指差していた。
24階にある男の部屋からも、新宿新都心の夜景が美しく光り輝いている。
ここはスイートルームになっているようだ。ベッドルームとリビングがわかれていて、バスルームはゆったりと広く作ってある。
男は、リビングのソファに自ら脱がせた麻子のスーツを几帳面に置いていった。
ジャケット、ブラウス、スカート、ストッキング、ブラジャー、そしてショーツ。
麻子はまるで赤ん坊のように、されるがままに立っていた。
男も仕立てのいいスーツを脱ぐと、麻子をバスルームへ連れて行った。
たっぷりと張った湯に麻子を入れ、自分も一緒にバスタブに浸かる。
男はまるで作り物のように美しい麻子の身体にスポンジを這わせ、優しく洗ってやった。
その優しさと男の面影は、麻子に死んだ父を連想させた。
徐々に麻子の身体から緊張が消え、小さな吐息が漏れる。
男はスポンジを置き、自らの手を麻子の首、肩、胸、腹、腰と順に降ろしていった。男の手が優しくねっとりと動くたび、麻子の吐息が大きくなった。
男は麻子の濡れた茂みの奥を、指でもてあそびながらささやいた。
「名前、聞いてなかったね」
「あ・・・愛」
麻子は突き上げる快感を身体一杯に感じながら、どうして自分は「愛」などと言ったのかと考えた。しかし次第に強くなる激しい快感に、もう何もかもがどうでもいいと思った。
「愛・・・いい名前だ。愛か、愛」
男は何度も何度もそう言って、麻子の胸に舌を這わせ、身体中をまさぐり続けた。
「お願い・・・欲しい・・・」
麻子が吐息交じりにつぶやく。
男はじらすようにニヤッと笑い、バスルームの壁に両手を付いて屈むよう命じる。
麻子は言われるがままに従った。男は麻子のくびれた腰に手を回し、自分のモノをゆっくりと背中から突き刺しはじめた。
その動きは徐々に早くリズミカルになっていく。
ミシッ! ミシッ! と身体の奥が軋み、今にも壊れそうだ。その勢いが頂点に達した時、麻子の心は空っぽになった。
自分では抱えきれなくなったたくさんの現実。その全てが心と頭から開放され、麻子の中から消えていった。
今まで何をしても決して消えることのなかったさまざまなものが、きれいさっぱり無くなっていた。
「いいよ、愛。すごくステキだ。もっと腰を動かしてごらん。そう、上手だ。とてもいいよ。愛の身体は最高だ。こんなのは初めてだよ」
男にそう言われるたび、麻子の快感はますます大きくなっていった。
今この男にとって、私はとても価値のある存在なのだ。私の身体は素晴らしい。私の女の部分がこんなにも男を酔わせ、喜ばせている。ああ! 何てステキなんだろう。こんな感覚、こんな喜び、私は今まで味わったことがない。何もかも忘れさせてくれる素晴らしいセックス。どうして今まで知らずにいたんだろう。
ああ・・・私は今幸せだ・・・。もうこのまま時が止まってしまえばいい・・・。
麻子は足先から頭の天辺まで駆け抜ける快感に身をゆだね、繰り返し繰り返し、一晩中突かれ続けた。
延々と続く担当医の話から開放されたあと、仕事に戻るからと駅に向かい電車に乗った。
何も考えられなくて、適当に乗り換え適当に降りた。
そこから行くあてもなく、ただただ歩き回った。
腕時計を見る。いつの間にか夜の8時を回っていた。
いつ日が暮れたのかも覚えてない。
忙しくて昼食を食べていなかったのに、お腹が空いたという感覚もない。
・・・疲れた。歩き回ったせいなのか。それとも理沙の手術のせいか。
たくさんの高いビルが立ち並ぶ通りを見上げると、正面に一軒のホテルがあった。
一軒というにはあまりにも大きく、正面玄関には『新宿メトロプラザホテル』とある。
いつの間にか、麻子は歌舞伎町に来ていたのだ。
ここで少し休もう。私は疲れすぎてるんだと麻子は思った。人事課長になってから仕事の内容も変わり、とてつもなく忙しくなった。理沙に「よかった」と言ってやれないのもたぶんそのせいだ。ここで少し休めば、きっと元の私に戻れる。
麻子は正面玄関からホテルに入り、ロビーに向かった。
部屋を取ろうと思った時、25階にバーラウンジがあるのがわかった。
急激に喉に渇きを覚えた。そうだ、まずは何か飲んで、休むのはそのあとにしよう。
麻子はエレベーターホールに向かい、25階を押した。
まだ時間が早いせいなのか、それほど混んではいない。
お一人様ですかと聞かれ、窓際の新宿新都心が見渡せる席に案内された。
ジントニックを頼み、一気に飲み干す。お代わりを頼み、それもすぐに飲み干した。
ラウンジ内を歩き回っているボーイがオーダーを取りに来た。
「お飲み物のお代わりはいかがですか?」
「もう少し強めのものが欲しいんだけど」
「かしこまりました。それではオリジナルを作らせましょう」
足の細いカクテルグラスは、キレイな真珠色の液体を湛えている。それは薄暗い明かりにもキラキラと美しく輝いて、一口飲むと、適度な辛みとほんの少しの甘みが喉を通過する。
「美味しい・・・」
フワフワとした感覚がやってきた。ほんの少しだけ酔いが回ったのだと、麻子は冷めた頭で考えた。
ただ、その酔いに全てを任せるには、麻子の心と身体は疲れ切っていた。一時(いっとき)も理沙の手術のことが頭から離れない。理沙の手術が成功したら、自分はどうなってしまうのだろう。もう私は理沙に必要な人間じゃなくなるのか。
イライラが消えない。何も考えたくない。でもどうしても理沙の事が頭から離れない。このままじゃどうにかなってしまいそうだ。
「隣、よろしいですか?」
背中の方で、低く響く声がした。
振り向くと、40代後半くらいだろうと思われる身なりのいい男が立っていて、ニコニコと微笑みながら麻子を見下ろしていた。
麻子は男という存在が嫌いだった。亡くなった父がいつもこう言っていたからだ。
『男というものは、どんな時でも麻子の身体を狙っている。だから決して近寄ってはいけないよ』
・・・本当にそうだと思う。男はみんな、いつも全身を舐めまわすようなぶしつけな視線を送ってくる。汚くてイヤらしい生き物だ。
普段なら即座に立ち上がり、もう出ますからと冷たく言うところだ。
だが今日の麻子は違っていた。フワフワとした現実感の薄い感覚の中で、麻子は男にニコッと笑い掛け、「どうぞ」と隣のスツールを指差していた。
24階にある男の部屋からも、新宿新都心の夜景が美しく光り輝いている。
ここはスイートルームになっているようだ。ベッドルームとリビングがわかれていて、バスルームはゆったりと広く作ってある。
男は、リビングのソファに自ら脱がせた麻子のスーツを几帳面に置いていった。
ジャケット、ブラウス、スカート、ストッキング、ブラジャー、そしてショーツ。
麻子はまるで赤ん坊のように、されるがままに立っていた。
男も仕立てのいいスーツを脱ぐと、麻子をバスルームへ連れて行った。
たっぷりと張った湯に麻子を入れ、自分も一緒にバスタブに浸かる。
男はまるで作り物のように美しい麻子の身体にスポンジを這わせ、優しく洗ってやった。
その優しさと男の面影は、麻子に死んだ父を連想させた。
徐々に麻子の身体から緊張が消え、小さな吐息が漏れる。
男はスポンジを置き、自らの手を麻子の首、肩、胸、腹、腰と順に降ろしていった。男の手が優しくねっとりと動くたび、麻子の吐息が大きくなった。
男は麻子の濡れた茂みの奥を、指でもてあそびながらささやいた。
「名前、聞いてなかったね」
「あ・・・愛」
麻子は突き上げる快感を身体一杯に感じながら、どうして自分は「愛」などと言ったのかと考えた。しかし次第に強くなる激しい快感に、もう何もかもがどうでもいいと思った。
「愛・・・いい名前だ。愛か、愛」
男は何度も何度もそう言って、麻子の胸に舌を這わせ、身体中をまさぐり続けた。
「お願い・・・欲しい・・・」
麻子が吐息交じりにつぶやく。
男はじらすようにニヤッと笑い、バスルームの壁に両手を付いて屈むよう命じる。
麻子は言われるがままに従った。男は麻子のくびれた腰に手を回し、自分のモノをゆっくりと背中から突き刺しはじめた。
その動きは徐々に早くリズミカルになっていく。
ミシッ! ミシッ! と身体の奥が軋み、今にも壊れそうだ。その勢いが頂点に達した時、麻子の心は空っぽになった。
自分では抱えきれなくなったたくさんの現実。その全てが心と頭から開放され、麻子の中から消えていった。
今まで何をしても決して消えることのなかったさまざまなものが、きれいさっぱり無くなっていた。
「いいよ、愛。すごくステキだ。もっと腰を動かしてごらん。そう、上手だ。とてもいいよ。愛の身体は最高だ。こんなのは初めてだよ」
男にそう言われるたび、麻子の快感はますます大きくなっていった。
今この男にとって、私はとても価値のある存在なのだ。私の身体は素晴らしい。私の女の部分がこんなにも男を酔わせ、喜ばせている。ああ! 何てステキなんだろう。こんな感覚、こんな喜び、私は今まで味わったことがない。何もかも忘れさせてくれる素晴らしいセックス。どうして今まで知らずにいたんだろう。
ああ・・・私は今幸せだ・・・。もうこのまま時が止まってしまえばいい・・・。
麻子は足先から頭の天辺まで駆け抜ける快感に身をゆだね、繰り返し繰り返し、一晩中突かれ続けた。
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| 14番目の月